Wandering Star Line

まあ楽しくやろうぜ

2017.11.02 そろそろカルライの話をしようじゃないの

だってもう半年経つんだもの

シネライウィークも終わって2カ月ほど経ちました。8/25・26・27と9/1・2・3。リリースが出た時にはたった6日かよ!と友人と叫んだものですがこの計6日間のうち結局5回見に行き、終わった後はやっぱり来週も再来週もシネライに行きたくなり、円盤が出てないことに気づかなくて毎日「帰ったらカルライ見よう!…円盤出てなかった!」を繰り返した。そうこうしているうちに今度はプリライ6thのシネライがやってくるわけです。おおん。たゆまぬ幸せ。うたプリの民は一年中途切れることなく幸せ。そう幸せ。メルティー

カルライの行われた3月のあの日から「(衝撃と多幸のあまり)何も覚えていない」を連発していたわけですが、シネライ鑑賞4回目で初めてGod's S.T.A.R.の間奏のうぉううぉ♪うぉううぉ♪うぉううぉ♪うぉーお♪のところで彼らが右に振ったり左に振ったり上に振ったりしていることに気付いて、我々は覚えていないのではなく何も見ていなかったんじゃないかという仮説に辿り着きました。少なくともゴッスタに関してはブチ上がりすぎて何も見えていなかったというのが真相に違いない。もとよりフォーラム2階24列目なんてステージは豆粒なんだけど、辛うじて見えるステージもモニターもどうでもよくなって、ただただその場を構成するパーティクルの一つになってはじけて溶けた。ライブをみる私とみられている彼らではなくて。そんな感覚はいつぶりだったのだろう。

もう2017年も終わりが見えてきた今、結局今年ってカルライだった。どうかしている回数God's S.T.A.R.を飽きもせず聴き続け、そのイントロが連れてくる熱狂を反芻して反芻して反芻して反芻して反芻して半年、あの日あの場所にいられたことが今年の私のアイデンティティを象っている。たった5枚のシングルCDで当てたチケットが、柄の白い無線内臓のキンブレが、私がQUARTET NIGHTに出会ってからの決してそう短くない年月を報いてくれた。キミの声は届いているよ、と言われている気がしてならなかった。この感覚は逆を真とせず、きっとどこで見ていたとしてもあの日私は報われたに違いないのだけど。

で、いろいろ書いたり消したり書けなかったりした結果やっぱり当日わめき散らかしたもの以上のパワーは出ないなという結論に至ったので終演後72時間のツイートを再構成して置いておく。今年のすべては結局これだったんだと思うから。きちんと形にして残したいのだ。



今日何がすごかったのって言われたらGod's S.T.A.R.がとにかくすごかったって言う。

このエネルギーはなかなか近年感じることができなかったやつだし、うちのめされたし、記憶がない。終演後に周りの席の人たちと30回くらいやってほしいって話してたのがGod's S.T.A.R.だ。アニメの描写でドラゴンが出てきて客席を焼き払ったり宇宙に行ったり高い塔から飛び降りてきたりするやつ、あるいはリンゴにキスしてお月様でグンナイするやつ、目が光って腹筋が灼熱になるやつ、ああいうの現実にあるんだって思った。跡形もなく燃えてなくなった。IMで言ったらロスコンやシャイコレだし、西川ならラブセとかソーサミだし、今日あの曲で私が辿り着けたのはそういうやつ(※この人は17年くらい前の話をしています)。頭真っ白に燃え上がって燃え尽きて、一つに溶けてなくなる。それを異次元のレイヤーでenhanceする無線ライト演出。ヤバい。飛んだ。無線ライト、リストバンドじゃなくて手持ちペンラで体験したの初めてだし、真っ暗で大きなホールにびっしりの客の2階最後列ってのも相まって、本当にヤバかった。手扇子が揃う、リウムが光る、UO、多色ペンラ、に続く、新しい快感きた。ヤバい!!って叫びまくってた。

ほんとにちゃんとライブだったんだよなあ…。曲間がほとんどなくて、息を整える暇も水を飲む暇もなく飲み込まれる感じ。そう!水を飲む暇がほしかったのも久しぶり!今までのプリライではちゃんと水を飲む暇があった。2曲目ダイキャスで既に汗だくで、とにかくとんでもなく汗かいた!首にかけてたタオル終演後まじぐっしょぐしょで、家帰ったら下着まで全部ぐっしょぐしょだった。こんなのいつぶりだろ。奴らのMCの通りになりましたわ。フレドリでタオル回せって言われた時もかなり申し訳ない濡れタオル回し状態だった。こっちから曲を待って動くんじゃなくて曲が次から次へと襲い掛かってきて連れて行かれる、曲に動かされる感じ。

そのためにはステージの出ハケを見ながらメンバーの歌った順番を考えながらペンラの色変えてる暇は当然なくて。だから無線ライトが凄まじい効果を発揮した。疾走感やエネルギーを殺さないままで、色替えの一体感と、それ以上の…すごい、魔法みたいな、私たちがこのライブの一部になってる強烈な感覚。私はプリライのライト3本持ってって4本体制だったけど、正直配布1本でぜんぜんよかったなって思った。「私ここにいるよ」も「見てるよ」もあの空間の中では必要なかった。求められてて、なりたかったのはあの空間を構成するパーティクルの一粒。身体も思考も感覚も全体に溶けてく感じ。すっ、ごい、すっごい、久しぶりの感覚。something feel like heavenだ。(※この人は17年くらい前の話をしています)

ライブらしいライブといえばスターライトメモリーで、CD聴いてたときからやりたかった、ペンラ振りじゃなくてマジ手扇子マジ捧げをやってしまったのも最高気持ちよかったですな!!!!!


カルテットナイトコール。

あのカルテットナイトコールに関しては思うところがごまんとある。
まずな、国フォホールAに来たら5分前アナウンスの後ぜったいコール始まると思うじゃん?
でも●ーボコールじゃないってことに気付くじゃん?
で、プリライで今まで開演前手拍子あったけどコールはそういやなかったって思うじゃん?
そしたらどこからともなくカルテッナイッ!って始まるじゃん?もうその時点で私だめじゃん?だめじゃん?泣くじゃん?
本編おわってそしたらアンコールもあれだな!って思うじゃん?
あんなに途切れないでリズム保ったまま揃うコール、ター●コールでもなかなか聴けなかったぜってやつじゃん?
すごいんだよみんな!
で、自分でやってみるとカルテッナイッって3拍だから4拍目で息継ぎできるじゃん?
4拍目でリズム揃えるから加速もしないじゃん?
めっちゃやりやすい!すごい!
すごいんだよカルナイコール!


だいたいどんなライブでも声イベでも舞台でも、いついかなるときも気が狂ったかのような基本1万字の超長文レポ書きをデフォルトとする私が完全に記憶を失っておりセトリすらあやふやなあたりで真のヤバさを感じ取ってほしい。それでも何か書きたくてしょうがなくて、書いてないとだめで、今思ってる今のわたしの言葉は絶対にこの先のわたしからは出てこないから。一秒ごとに遠くなる。かきとめておきたいんだよ!!!



そうわめいてくれたこの日の自分のおかげで私はあの日の熱を追体験している。5500人がホールに割れんばかりに反響させる「QUARTET NIGHT!」のコール(エボリューション・イヴのイントロとアウトロのやつです。シネライでもあんまりやってる人がいなかったし映像でもこの迫力伝わってないけど、当日現場のこのコールは凄かったんだ!)の圧を鼓膜に呼び起こすことができる。5000人キャパでこそ召喚に成功する幸福というものは確かにあって、それはうたプリに限らずどのアーティスト、どのライブでもそうだと思う。圧縮された、濃密な狂気。それを享受できたありがたさにただ頭を垂れる。その事象は一つも当たり前でないことの積み重ねと巡り合わせでできているからだ。

ひとまず、ブルーレイをどっかでかいところで鑑賞会しなきゃいけないし、それにしても連綿と、●ービックはライブビデオ作るの本当にへったくそだなあ!という気持ちしかありません。なぜあのライブがこういう臨場感もくそもない映像になっちまうんだろうなあ笑