Wandering Star Line

好きな子に満ちた世界で笑って生きています

2017.12.04 優勝

贔屓のチームが優勝してしまった。

勝って2位で良いって。
今年もよくやったね来年頑張ろうねって最終戦セレモニー観て。
そんで最高に美味い牡蠣食べて帰ろう。
陸前高田ランドバンザイ。
つとめて自然にそういう気持ちで脳内を塗りつぶすようにして私は等々力に向かったんです。
一つだけ確信していたのはこの試合は勝つだろうということで。
こういう局面で我が軍は往々にして格下相手に難しい試合に迷い込み、まぁしばしば自滅するというパターンを幾度も見ていたけれども、なぜか今日だけは勝つだろうとしか思えなかった。
それは相手のスペックや境遇がどうとかいうものではなくて、もはや単なる直観、インスピレーションみたいなものだった。
勝って2位かなって。
勝ち点70越えて勝てないならそれはやっぱり相手がスゲーんだって。
でも自分らの為した結果もすごいんだからそれを讃えようって。

だから私はSHISHAMOの朝子ちゃんみたいに「(優勝を)信じてたからびっくりはしなかった」なんて言えない。
今年は一度もリーグ優勝なんて本気で考えたことがなかった。
首位に立ったこともなかったし。
ルヴァンが終わった時、ああこれで今年も終わりだって思ったの。
それでもあと10年観ていたらきっといつかたどり着けるって。
ルヴァンでけんゆ(けんゆも元うちの子扱いなのでちょっと視点が違う)がMVPになって、どうしてもそれが何か納得いかなくて、悠様はけんゆには負けないでほしいなって思ったけど、それも3ゴールの差をつけられた時点でどこか諦めてしまっていた。
33節の浦和戦で3ゴール差が2ゴール差になってからもやっぱりその夢みたいな結末は手放したままでいた。
「悠様最終節は最低ノルマでハットだよ(笑)」
言い合ってはいたけれど、ネタのつもりだった。
どれも、つとめて夢見ないつもりでいた。
風間さんがいなくなって、嘉人さんがいなくなって、オニさんの監督一年目で、シーズン通してこれだけの結果と、ワクワクするような試合が見られただけでもう十二分に成し遂げている。そんな風に思っていた。
2013年の最終節のことは、33節浦和戦が終わった後に3分くらいだけ脳裏に過ぎっていた。
あの時我々が等々力のピッチに沈めてしまった俊輔は今、奇しくも磐田にいるのだ。
(2013年最終節に何が起きたかは昨年書いた記事の冒頭をどうぞ) tinamiya.hatenadiary.com

家を出る直前、最後の最後で11月4日に埼スタで投げそこねた青い紙テープがごっそり入った袋(その時に取った金テープも入ってた)を荷物に入れた。
いつものバクスタ2Fのチケットをうっかり取り損ねていたので、どうにかアウェー寄りの隅っこに一人分の居場所を確保。大体この状況になった時にはこのアウェー寄りの立ち見1列目を狙うんだけど、ここはピッチはよく見える代わりにオーロラビジョンがあまり見えない。
そのかわり低い天井に反響して音が巻く。自分の声もよく響く。

試合は過去の教訓をなぞるように開始早々のあべちゃんのゴール。
それだけでは苦しくなるぞ、と思うところへ前半終了寸前の悠さまのヘッド。
ポンコツな日の悠さまはあれが入らない。今日はイケるな。
HT、私の周りは誰もスマホで結果を見ておらず、誰も「そのこと」を声高に言わなかった。
3点目が入った時、「まさか」と思った。
車屋がPAで倒されたときに、周りが一斉に浮足立った。
PKがど真ん中に入った瞬間、もうその時点で私の涙腺は大決壊していた。 勝って2位、ついでに得点王、最高じゃない、って。
そして試合終了寸前。アバンテ歌いながらの5点目。はせたつのゴール。
ゴールの歓声の中で笛の音はかき消されて、視界にはベンチから飛び出してくる選手、スタッフ。オーロラビジョンはこの場所からは見えない。

音も視覚の情報もはっきりとわからない中、我々の生きるタイムラインに何が起きているのか、何を意味するのかが、「その空気」に一瞬で伝播した、決定的な、凄まじいあの時間のことを、私は一生忘れないし、きっと何度でも喚起し続けるだろうと思う。

右隣のお姉さんと左隣のお兄さん。見知らぬ人と泣きながら飛び上がって叫んだ。良かったら投げてください!と紙テープの巻きを渡した。
今まで等々力にいてたくさん感情が動く試合はあったし、嬉しい時間も、酸欠になるほど拳を突き上げて叫んだこともあった。
優勝したらどんな気持ちになるんだろうと想像してみたこともあった。
でも、その時間にいる自分は宇宙に放り出されたようなものだった。
予想も想像もできなかった感情と混乱の激流の中で、ただただ知らない気持ちと知らない眺めに呑まれていた。涙が止まらない。

優勝したらこんな気持ちになる。
いろんな人の顔や名前が脳裏によぎった。ピッチにいる選手たち、監督、スタッフ、今までの監督、かつて川崎で戦った選手たち、今も川崎を愛してくれてる人たち。
私が愛してる川崎フロンターレっていう文化を作ってくれた人たち。
私たちのチームはこんなめちゃめちゃ面白くてかっこいいサッカーをするんだ。川崎フロンターレっていう文化はピッチの外でもめちゃめちゃ面白くて、楽しくて、優しくて、とうとう優しくて楽しいままタイトルを取った。何よりそれが最高だろ!



贔屓のチームが優勝してしまった。

川崎フロンターレ。他のどのタイトルでもなく、J1リーグの年間王者。
やばい。なんだこれ。すごい。
当時。地元駅に置かれるチラシのユーモアが何か様子がおかしかったり、父の勤めている会社がメインスポンサーであったり、Vの付くチームへの反骨心であったり、色々な理由からサッカーのさの字もわからないのに興味本位で等々力に初めて試合を覗きに行ったのが1999年。
それからなんとなく浮沈を眺めつつ、ちゃんと応援して試合結果に一喜一憂し、選手の名前を覚えるようになったのが2005、6年ころであったと記憶している。
等々力に年2回くらい行くようになったのが2007、8年くらい。
それならと後援会に入会したのが2009年。(※後援会に入ると一番安い入場券が自動で2枚付いてくる)
2010年にとある選手が大卒で入団してきて、私はその選手を内心特別に応援するようになった。ちなみに「今までのチームになかったかわいい顔。線も細いし大丈夫かこの子?」みたいな理由である。
入団直前に被った大きなけがを乗り越えたその選手はほどなく最初のブレイクを果たし、ユーモアを込めて様付けで呼ばれるようになる。
特別に思う選手ができて、思い入れが増して、何よりもチームがどんどん強くなって。このチームを応援することが私にとって人生の不可欠なピースになっていたこの8年間。
昨オフにこのチームに残ることを選んでくれた彼の決断に心を動かされ、生まれて初めてオーセンティックのユニ(もちろん11番)を買った今年、彼はキャプテンを禅譲されて、チームが優勝して、得点王まで付いてきてしまった。
やばい。なんだこれ。すごい。
こう書き出してみるとサッカーわからん層ながら結構長くなってしまったサポーター歴に、そりゃあ脳内も言うべき言葉がありすぎて出なくなるというものです。
過去何年も。このチームに取ってほしい、このチームでなければ取れない、どうかこのメンバーに取らせてやってくれと思ったことは一度や二度ではなかった。
優勝請負人、みたいな見出しを付けられて移籍してきた選手だってたくさんいて、それでも幾つも幾つものタイトルが手のひらから零れ落ちていった。
風間さんが積み上げてくれたもの。オニさんが目指してくれたもの。 怪我をしなかったあの子。怪我をしても戻ってこれたあの子。 移籍して来て一生懸命フィットしてくれた子たち。 誰々がいたから、何をやったから、ではなくて。 いやその全部があって、 いやその全部にもうひとひらの奇跡を掴んで。 この場所に辿り着いたのだろう。 確信を超える結末。
これがずっと想像してきた場所。
すごい。

勝ったらきっといろいろな眺めが変わるのだろうと思っていたけど、その到来はあまりに唐突だった。
まだけっこうぐちゃぐちゃです。
この文章がどこか上滑りに見えたなら、私の魂がまだ12月2日の朝にいるのかもしれない。
まだ夢の中にいる気がする。夢なのかもしれない。

ああでも陸前高田の蒸し牡蠣は美味しかったんだ!夢じゃないんだ。f:id:tinamiya:20171205211414j:plain