Wandering Star Line

好きな子に満ちた世界で笑って生きています

2015.08.20

屋上と庭園でふらふらしてた時に撮ってもらった写真をぽつぽつといただいているのだけど、思いのほか、思いのほかよって感じで、悪くない。身体と頭はくたくただけどちょっと元気になれる気がしてきました。無修正ですって前置きされて恐怖だったやつも全然妖怪じゃなかったわ。あんなに日光かんかん照りの場所だったのになー。一期一会に一発勝負のイベント撮りなんて冗談ぬきで2年ぶりでありまして、その2年前の夏コミは割と妖怪ぎみだったのでけっこうね、こわかったんだよ。 2年前のわたしと今のわたし、何が違うか。 心のなかに前野くんがいるか、いないか、ですね。やったね!


http://penerop963.exblog.jp/

びじゅチューン(すごくすてきBLな「風神雷神図屏風デート」の歌で有名な教育テレビのあの番組ね)がすごいすきで、井上涼さんのセンスもすきだったんだけど、今日twitterでどっかから流れてきて、blogは初めて拝見したのでした。やっぱり良いなぁ。

それで思ったのは、 わたしはシス(性自認と身体の性が同じ)の女子で、彼氏も彼女もいたことがあって、今は美風藍さんとお付き合いしていて、20年もののオタクで腐女子で、男女より百合より圧倒的にBLのエロ本が好きで、女の子のアイドルより男の子のアイドルの方が好きで、でも実在の男のひとの性欲が自分に向かうのはとても気持ち悪い、むり。 そういう人でね、

こういう人間を一言で語るラベルは、近いものはいくつかあっても、この世にはやっぱりない気がするし、今まで一度も自分に自分でそういうラベルをつけたことはない。なんだかよくわからないけど今の世の中ではどこに行っても少数者なんだなって思っていて、それは自分は何者なんだろうって考えた中学3年生の時から一切変わっていません。

はっきりと断言できることは 世の中を当事者と非当事者に分かつならどっちかといえば当事者の側だろうということと、 見た目も自認も機能も、女の子だということ(ちんこついてない) この二つぐらいなのかなと思う。

で、わたしとお話をしていればとても限りなくこの人は何なんだ?みたいな感じの所から、色々な可能性を想像されるとは思うんだけど、前述のように「ラベルを付けない」という観点から、わたしからこういうお話をすることはほぼありません。

それは、はっきり言うと私は全くいわゆるtypicalなセクシュアル・マイノリティとしてのあらゆる記号とわりと無縁で生きているし、興味もないし、そんなところを抜きにして、あなたと普通にお友達になって、楽しく遊んでいるじゃないですか、ということです。少し前にtwitterで左利きに置き換えるという話をしたけれど、わたし自身の生き方に対してもそれは同じです。あなたの隣にいるあなたの友達は左利きだけど、それが何か?と。

例えばこういうことを聞いて、いっしょに遊ぶのが嫌だなあとか、一緒に泊まりたくないなあとか、そういうふうに感じる人なのだったら、もうそれは私の方から願い下げだと思います。でも私はあなたの価値を認めて、友達になりたいなあと思ったから仲良くしているわけで、あなたがそういう人なのだとはできるだけ知りたくないのです。だから、自分からはこういうことはお話ししない。そんなふうにして生きています。今日も普通にね。

ポジティブな意味での、DADT(Don’t ask Don’t tell)はあるのかなあと。その言葉はわたしを縛り、あなたの目を塞ぐこともあるでしょう。言葉にしないことで自由になる、それはClosetであることとは、またちょっとちがうと思うのです。

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