Wandering Star Line

まあ楽しくやろうぜ

2018.09.24 雪月花薫る時に最も君を憶う話

9月は雪月花薫る時に最も君を憶って放心したり、友人が色々神がかっていて五体倒地したり、1年半越しで御宿にカルライ映像ロケ聖地巡礼に行ったりしていました。いろいろなことがあって8月後半から9頭くらいは結構きつかったんだけど、そういうことを経て、結局素晴らしい友と決してわれわれを裏切らないうたの☆プリンスさまっ♪という宗教に恵まれてぼかぁ復活しました。雪月花イベ、雪月花イベ、本当に素晴らしかった…。外から見た現象として出来るだけ平易に言ってしまえば「11人で歌うCDが出るよ」っていうだけだし、もう少し色を付けても「それに合わせてPVを作ったから大きなホールでお披露目するよ」だと思うのです。それが「keita maruyamaの衣装だよ」→「じゃあ実衣装展示するよ」→「グッズも作るよ」→「イベントにするよ」みたいな感じになってあの空間が出来上がったんだと思っていた。でもどうやって雪月花っていうコンテンツが出来上がったかを知ったら、その矢印は全然思いもよらないところから発生していた。よもやコンセプトの提案、曲作りの段階から丸山氏が球を投げてくれていたとは…。その驚きとありがたさを表現するすべを私たちは知らないし、強いて言うなら諭吉を敬意を込めて、もう三宝に載せる気持ちで献上するくらいしかないのです。ブロッコリー様!受け取って!

仮に普通にアニメイトで役立つもの(例えば雑誌とか)を買った時のリターンを1倍として、うたの☆プリンスさまっ♪に投資した後に得る「現物」「成果物」「付随・持続する多幸感」はなんちゅうかリターン換算で軽く額面の5倍以上にはなっているので、うたの☆プリンスさまっ♪、正直トルコリラもびっくりの利回りですよ。雪月花の衣装展示を見ながらとにかくこれは高そうだなと思ったのだけど、お金の大きさは当然の条件としても、お金の大きさだけではこの現実を作り上げることはできないわけです。毎度生半可では実現できない成果物をうたプリさんは、俺たちのブロッコリーさんは達成してくれるわけで、結局これってファンディングだよなってつくづく思った。プリンセスは個人投資家。誰も見たこともない「非実在・実在アイドル」の地平を切り拓いていく、我々の生きるこのタイムラインこそがうたの☆プリンスさまっ♪の本質で、「奇跡」と言われるものの実体なんだと思う。


先月の日記で「今後買いたいもの」「神戸旅行」と書いたわけですが無事神戸旅行を買うことができそうでほっとしています。今年は国内旅行づいてるなぁ…。決して私一人の力でなしえた機会ではないので、宇宙に感謝して、頭を垂れて生きていきたいと思う。神戸だけに…。(言ってやった)

2018.08.10 悲伝おわって思うこと

悲伝の話はちゃんと書こうと思ったら20000字は書かなければならない気がして、でも(夏バテと体調不良と仕事のストレスで)現状それをやる体力が私に残っていなくてすごく残念。なので大きな声で伝えておかねばならないことだけ書き留めておく。私はあらまきよしひこくん演じる山姥切国広くんと一緒に、あまりにも完璧な2018年7月のあの場所にたどり着くために2015年の1月にあのゲームに出会ったんだと思うよ、この私が、そう言い切ってもいいと思うほどにこの結末に立てたことをすごく、すごく、感謝している。すごく。色々なことが言われているけど、私が見届けることができたのは銀劇の凱旋公演、もうあの繰り返しも終わりに近づいていた46回目、あと千秋楽53回目のLVだけだったけど、それでも積み重ねられてきた試みの意味を私は深く理解して、それを伝聞する過程も含めての「作品」なのだと思っている。この場所に、こういうスタンスで、こういう心持ちで立てたことは当たり前ではないと思うので、コンテンツを与えてくれた人たちに対してはもちろんのこと、あきらめずに走ってきた自分に向けても、よかったね!えらかったな!って気持ちです。実際のところもう半年以上ゲームには手を付けてなくて、2.5以前にもう刀のゲームはいいかなーって思いかけてたけど、こういう思いをできるのなら、もうちょっと走り続けようと思うよ。

ウオ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!これ観た後に極が待っている山姥切国広の審神者のみんな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!生きてる~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~???????????????????????????????????????

2018.07.19 スタミュミュとかいうミラコー

ミュミュ2。2回観ました。ひたすらミラクルだったし、最高だったし、ユメ☆イロでいきなりクライマックスだし、どうにかしてもう一度1st上演してほしいし、新空閑マンは俺は誰とも馴れ合わない(実際ははちゃめちゃ馴れ合ってる)だった。1回目は七夕で、隣の神宮と秩父宮でなんとか坂のライブやってて外苑前isただただカオス。ラストのちむらぎのお別れシーンの最中にでっかい地震があったんだけど、最初は「隣もクライマックスでファンが一斉にジャンプしてるんだな」と思いました。凄い揺れましたね。びっくりした。2回目はその2日後の月曜で、このスタミュミュ2でいったい何が起こるのかを把握してから見てもやっぱり混乱で死ぬという、そういう結論だった。
初見の我々「一体何を見せられているんだ…」
2回目の休憩時間での我々「一体何を見せられているんだ…」
内容を飲み込んだ上での我々「一体何を見せられているんだ…」
カテコのゆづくん「愛です」
我々「愛か…」
スタミュというのはそもそもBL目線が意味をなさない作品だったのだけど、ここまで来て尚もこう明文化しない男の子たちの強く濃い絆や執着を味あわせて頂けるの、感謝の極みでしかない。

めちゃくちゃいろんなことがあるステージで、言いたいことがあまりにもたくさんあるのに結局「前半エレガンス。ハニトラ。後半ヒロイズム…(語彙を失う)」みたいになっちゃうの非常にアレなんですけど、観終わった後青年館の近所で飲んでいて隣に来たお姉さんたちも結局①「虎石くん」②「カップルだらけじゃねーか…」③「ヒロイズム」しかしゃべれなくなっていたのできっとみんな同類。

それにしても1st時点では虎石くんがここまで大化けするとは思わなかった。オーラありまくり。初見日は席が完全ドセンだったので虎石くんのハニトラ諸々正面から受け止めて見事な虎石の女が出来上がりまして、それを踏まえての2回目でも結局虎石の女は爆誕していた。虎石くんのあのスタンス、アニメ本編ではピンときてなかったけど、舞台でやられると何のこだわりもなく会場全員が虎石の女になれるの、すごくいいですね。
友人「戌峰担(興津ファン)で暁先輩ガチ勢で鳳先輩激推しで虎石の女」
私「わけがわからん。空閑担(前野ファン)で暁先輩ガチ勢で鳳先輩激推しで虎石の女」
友人「わけがわからん」
ハニトラ間奏の投げチューには「ふー!」って言ってあげたい声ヲタなんですがあれシーンとしてるのつらくないかなあ。

1stからのこの1年3か月の間にキャストの皆様が歩んできたおそらく努力の2文字でしか表せないであろう過程に感謝しかありませんでした。みんなすごいなあ。とてもとてもありがとうだ。スーパー上体ブレないマンはるちゃんの次に全然上体ブレないマンりょうくんがすごくて、暁先輩ガチ勢とかいう以前に彼から目が離せないシーンがいくつもあった。つりもとくんはいったいどこから鳥ちゃんの声帯をちぎって持ってきたのかと思った。ま、9日に見た方は中盤特有のゆるみというか、皆が一斉に楽しくなっちゃってる感が出てて、アドリブもハプニングもどう考えてもアウトなやつばっかりだったんですけど、それも含めて楽しんでしまった。ああ、3rd seasonをやる前にもう一度1stが見たいよ…。1st。見たくないですか。みんな好きでしょ。ご登校しようぜ。なんなら3回くらいご登校してくれてもええんやで。

2018.06.08 ウルトラブラストは後から効いてくるという話

前後したけどGWのスタリファンミ2日間行ってきました。

完全スプリントのセットリストと感謝しかない座席の引き、そして狂気のトロッコによって2日間が終わるころにはほぼ燃えカスみたいになっていました。翌日からの全身筋肉痛も凄かった。これ、ホールライブやアリーナのスタンド席、当然狭いライブハウスでも起こらない現象で、大きな会場のアリーナレベルじゃないと腹筋から首肩腕脚までの筋肉痛ってなりえないんですよね。自力で金テ拾ったのも何年ぶりなのかわからない。うたプリ声優諸氏があんなに近くに来たのも生まれて初めてです。初日の紀章さん、2日目の下野さん、至近の投げチュー死ぬわ。とにかく大変な機会だった。
hang in thereの引き起こしたカオスは一生忘れないと思います。 アンコールのマジLOVEメドレーには明確な殺意というか、要するに「みんなで死ぬぞ!」みたいな暴力性すら感じた。 1日目は前通路の暴れ放題ポジションで我に返ったら周囲誰も自分の席の前にいなくて大笑いしたし、2日目は終演後我に返ったら前の列と自分の列のパイプ椅子列がダリの絵画みたいになってて大笑いした。次元のゆがみか。 何もかもが思い出すにポジティブな混沌だった。 きっとあれをプリズムショー的に表現したらみんな全裸になる。

あの日以来ウルトラブラストの聞こえ方が変わりました。 終わった直後はそういうものだと思っていたけど、日を経るごとに「おや?」と思います。 大きな会場の大きなスピーカーの、地面を伝う低音。空気を震わすグルーヴ。音の持つ波が実体化したように押し寄せ、乗り物の様に我々を掬って浚って打ち上げる感覚。 あの日からだで感じた音が、今でも小さなイヤホンの奥から全身の感覚器を叩いて想起するんです。 いつでもまたあの音の波に乗って\おっおー/したい。 そう身体が求める感覚はライブを経なければ味わえないものだし、そういえば今までのプリライではあまり味わったことのないものだなと思います。 きっとまたいつか。いつだって次へ。

抹茶ソフトクリーム食べたんだけど、西武ドームでしかやってないパ6球団から選べるヘルメットソフトにしなかったのをいまだに悔やんでいます。

2018.04.12 宗教的なうたプリの話をします

 CDシリーズのリリースの狂乱から続いたシャイマス企画展も今週で終了、これからはGWのスタリファンミに突っ込んでいくぞ、それが終わったら今年も8周年記念日が来るぞ総員第一種戦闘配備が解けないぞというところで、ちょっとシャイマスを振り返ったり、ここ2年くらいで自分の中にまとまった宗教的な感覚を整理しておこうと思う。Shining Masterpiece Show、おそらく賛否もあっただろうこの企画が、また新たなうたプリの地平を切り開いたと断言できるからだ。我々は今その先鋒に立っている。

 前提として言っておくと私は森の民である。森とはすなわちヴァンパイアの住んでいる方の森であり、血まみれ彼岸花の方の森ではない。おおよそ3年前に森に棲み付いたままゾンビになったクチのブラシャの民である。ことあるごとにBLOODY SHADOWS2の予告編を勝手に作っている。カミングスーン!

 私にとっては2015年のシアターシャイニング「BLOODY SHADOWS」はうたプリのドラマCDシリーズの最高峰であり、乙女ゲームの前提を持ちながらアイドルちゃんの骨太の仕事とキャラクター同士の濃密な関係性をリスナーに味わわせることに成功した稀有な作品である。リスナーはヒロインを演じているという前提で世界に溶け込みながら、目の前でとんでもないどんでん返しを食らわされる。リスナーは同時に観客という視点で、それを驚きとあるいは爆笑とあるいは陶酔をもって鑑賞できたのだ。

 そんな森至上主義とも言える私だが、結局シャイマスの3作品を聞き終わった時にはひたすら首を垂れるしかなかった。今でも私の実家は森だけど、これは間違いなく我々と共に生きて歩む彼らの「証」だし、それを提示してくれたことに感謝しかない。劇団シャイニング、シアターシャイニングと続いてきた彼らの仕事、その積み重ねがあったからこそ今回のShining Masterpiece Showというエンターテイメントステージは存在し得たのだろう。あまたの男性アイドルが歩んでいく道、最初は当て書きの学芸会から始まって、そこから芝居やパフォーマンスを磨いていき、次第に自らの新境地を切り開いていく過程。更にトラディションを自らの解釈で新たにリコンストラクトするということ。それはそのまま、この4年間で歩んできた3つの彼らのお仕事シリーズに当てはまる。

 彼らは確実にこの4年間を生き、アイドルとして、エンタテイナーとして、これだけの力を私たちに見せつけるまでになったのだ。うたの☆プリンスさまっ♪というコンテンツはもはやそこにタブーやリミットを設定せず、彼らのできうる最大幅のエンターテイメントを、最も効果的な形で私たちに提示してくれる場所になった。舞台や映画のシリーズだけではなくて、その間に存在したライブもそうだし、シャニライの2曲のPVもそうだ。ウルトラブラストのリリースに関わる一連の動きだってそうだろう。我々が殴り合う相手はもう血の通う人間がやってるアイドルだけになってしまった。

 こんな中でそれを享受するファンも、ただ与えられる物語を読むのではなく、自分自身がシャイニング事務所のアイドルが生きている時代と次元を同様に生きているということに気付いた人が強く生き残っていくように思う。うたプリのファンであることはゲームをプレイしたり物語を読んだり歌を聞いたりすることももちろん含むけれども、本質はそうではない。本質はアイドルと同じ時空を生きて、紡がれる物語に自分もコミットしていくことだ。例えばシャニライは画面の中の彼らに会いに行く行為ではなくて、現実の世界にいるアイドルちゃんがファン向けにリリースしているアプリを楽しむ行為なのだ。ブロッコリーうたプリチームはこの7年間ずっと、ファンがそうやっていられるための裏付けを何層にも何層にもわたって丁寧に行ってきてくれているのだと思う。


 結局宗教だ。最近友達とうたプリの話を始めると必ず宗教になってしまう。信仰の会だ。言葉を尽くして何度でも、賛美と感謝を綴ってしまう。内輪で賛美と感謝を確かめ合うだけでなく、全世界の人に私がうたプリの民でいてどれだけ幸せなのかを知ってほしいし、うたプリがいかに我々を幸せにしてくれているかを知ってほしい。それはどう考えても宗教なのだ。

 最初は私にとってもただのゲームでキャラクターコンテンツだったはずのうたプリは、ある時期から人生のインフラだと思わせてくれるようになった。何がダメでもうたプリは我々を裏切らず、安定していて、安定して好きでいさせてくれるから生きていける。そこにお金を使うことは水道やガス料金のようなもの。享受した分の対価を払い、未来への投資を行うことはごく当たり前のことだ。それをさらに突き詰めたここ2年くらい、どうにもインフラは信仰を含むレベルになりつつある。日本ではなかなかその実感がポピュラーではないけれど、世界三大宗教が日常的に信仰されている国々での状態をなんとなく思い起こしてもらえればよい。

 ただ、不思議なことにこの衝動は布教をあまり含まない。どれだけ我々が幸せでいるかはあますところなく知ってほしいけれど、だからお前もこの神を信仰すべきであるとは思わないのだ。きっと今から好きになってもとても幸せで楽しい。好きになってくれたらうれしい。でもこんなに脳みそガンギマリになるほど我々が幸せなのは、年月をかけ、ひとつひとつの歴史を己の感慨を持ちながら一緒に歩いてきたからだ。その感覚はきっとうたプリを好きな人一人一人にその人なりの歴史を持ちながら存在していて、それが長くても短くても同じように作用しているものだと思う。


 そんな信仰の民はシャイマス企画展も気が狂うほど楽しかった。結局各期3回ずつ、計9回入った。今でもうたプリの企画展示の最高峰は2016年のShining Dream Festaだと思っているのだけど、今までうたプリでこんな風に遊んだことがなかった、というシャニフェスのあの衝撃、脳髄にキマってくる感じに似たものを、ロスアリの初回に行った時に感じた。映画を見るように直接具体的な物語や映像や体験が提供されるわけではないのに、その現実に自分から関わっていくことで目の前に全く違う景色が広がっていく。逆に自分から関わる能動を起こせない人にはあれはけっこう退屈なというか、そこまでのマジックを感じることが難しいものだったのではないだろうか。ディズニーランドの楽しさが、その種類も強さも深さも受け取る人依存であるのと同じだ。シャイマス展はディズニーランドだった。というかやはり、うたプリというコンテンツの楽しみ方自体がディズニーランド化しつつあるような気が最近している。


 GWのST☆RISHのファンミーティングは両日参加です。初めてうたプリの生のライブ的なもので隣に友達がいるよ…。何が起きるのか、私がどうなるのか。建国日はいつなのか。キングダムな日ってなんなのか。ひたすら楽しみにしよう。きっととても幸せな日になる。うたプリの民は365日全部捧げて、365日全部が幸せなのだ。そう幸せ。メルティー