Wandering Star Line

好きな子に満ちた世界で笑って生きています

このblogについて

多趣味オタク。だいたいなんでも楽しくありたい。今日も私を愉快に生かす、明日も笑って生きようと思う、そう思わせてくれる推しくん推しさまを好き好き言ってほめたい。そういう意図をもって書きとめるためのblog。

トピック雑多。2015シーズンまで比較的ガチなスケオタでもあったので主に過去記事に関連記述を含む。現在基本は声ヲタ、2.5は刀から。お付き合いの仕方を模索中。色々ご容赦ください。

息をするように自然に腐女子であり、息をするように自然にそのような文化を謳歌する記述が含まれます。商業二次問わず。BL文化をわからない/許容できない/苦手な方は読むのやめておいた方がいいかもです。

2018.06.08 ウルトラブラストは後から効いてくるという話

前後したけどGWのスタリファンミ2日間行ってきました。

完全スプリントのセットリストと感謝しかない座席の引き、そして狂気のトロッコによって2日間が終わるころにはほぼ燃えカスみたいになっていました。翌日からの全身筋肉痛も凄かった。これ、ホールライブやアリーナのスタンド席、当然狭いライブハウスでも起こらない現象で、大きな会場のアリーナレベルじゃないと腹筋から首肩腕脚までの筋肉痛ってなりえないんですよね。自力で金テ拾ったのも何年ぶりなのかわからない。うたプリ声優諸氏があんなに近くに来たのも生まれて初めてです。初日の紀章さん、2日目の下野さん、至近の投げチュー死ぬわ。とにかく大変な機会だった。
hang in thereの引き起こしたカオスは一生忘れないと思います。 アンコールのマジLOVEメドレーには明確な殺意というか、要するに「みんなで死ぬぞ!」みたいな暴力性すら感じた。 1日目は前通路の暴れ放題ポジションで我に返ったら周囲誰も自分の席の前にいなくて大笑いしたし、2日目は終演後我に返ったら前の列と自分の列のパイプ椅子列がダリの絵画みたいになってて大笑いした。次元のゆがみか。 何もかもが思い出すにポジティブな混沌だった。 きっとあれをプリズムショー的に表現したらみんな全裸になる。

あの日以来ウルトラブラストの聞こえ方が変わりました。 終わった直後はそういうものだと思っていたけど、日を経るごとに「おや?」と思います。 大きな会場の大きなスピーカーの、地面を伝う低音。空気を震わすグルーヴ。音の持つ波が実体化したように押し寄せ、乗り物の様に我々を掬って浚って打ち上げる感覚。 あの日からだで感じた音が、今でも小さなイヤホンの奥から全身の感覚器を叩いて想起するんです。 いつでもまたあの音の波に乗って\おっおー/したい。 そう身体が求める感覚はライブを経なければ味わえないものだし、そういえば今までのプリライではあまり味わったことのないものだなと思います。 きっとまたいつか。いつだって次へ。

抹茶ソフトクリーム食べたんだけど、西武ドームでしかやってないパ6球団から選べるヘルメットソフトにしなかったのをいまだに悔やんでいます。

2018.06.05 近況

タイムセール祭りでは値下がりしなかったのに、セ・パ交流戦セールとかいうサムシングでまた3980円になってたので、さっきFire TV Stick買いました!!!!!!!!!!!!!!!
#来月プライムデーだろというツッコミは不可
国技館の前にRAWやSD Liveを見ておきたいんじゃ

2018.05.23 近況

目下信じられないくらいWWE(殊にディーヴァ)にハマっています。

きっかけは2月か3月のJスポ無料デーでたまたま目にしたRAW。そこで見た女子の対戦があまりにカッコ良かったんです。もう内容覚えてないけどきっとASUKA様だったんじゃないかなー。そこからぽつぽつ追いかけ始め、そうしたらWMでの対戦が組まれたシャーロット嬢がもうさらに衝撃を受けるカッコ良さで。もともとある種のアメリカンTVエンタメがやたらツボるんですが(SYTYCDが代表例―アレの何が好きって審査員と司会とオーディエンスのあのひたすらテンションの高いストリームなんですよね)ド派手ギラギラな演出と外連味抜群の筋書きにもはやハマるのは時間の問題という感じだった。

去年末にフロンターレが優勝した時にDAZN見たくてFire TV Stickを買う寸前まで行って結局我慢しきったんだけどいやこれとうとう買うんじゃないですかね。今はまだ週1回のU局のThis week in WWE(2週遅れ)とTwitterWWEの公式ハイライトでどうにかしている。

古くは大泉さんとか、最近だと禁生が主な影響でちょいちょい新日なんかはテレビで見てたんですが、これほどカッコ良くてスタイリッシュでクドいテーマパーク感はないんだなぁ。特にディーヴァ、日本の格闘技にまとわりつく「おっさん目線臭」を感じないこのド派手な、dazzlingなカッコ良さは人生で初めて出会う衝撃で、真正面から食らった気がします。正にEnchanted。

4月頭のWM34あたりから1カ月くらい逡巡した挙句、国技館のチケット取っちゃったよ。1万円以上する券面のチケットなんて数年ぶりだ。でも身体を使ったエンターテイメントの場合「見たいと思う人がいて」「行ける機会が用意されている」なら、もうそれは決して逃してはならない運命なのだと思う。

とにかく家人が格闘技全般が露骨にキライで、TVで録画を見ずらいのが唯一の難点。


ASUKA様が同年代ってのに大いに勇気をもらった部分もあるんですが、最後に自分の味方になりうる己の体を錬成するためにジムに通い始めました。総合フィットネスクラブなので今までやったことがないジャンルのスタジオレッスンなんかもいろいろチャレンジできて幸せな気持ちです。筋力や心肺機能をしっかりと怠けない自分に戻したい。

しかしこれも修行めいたものではなくて一種の自分に提供するエンタメであるという捉え方です。私はそうでないと続かないのです。

ジムにヨガ、プロレスと競馬、平日は野球(主にMLB)週末はサッカー(J)という趣味ラインナップになってまいりました。だいぶ年齢相応な感じになってきたんじゃないの?

2018.04.12 宗教的なうたプリの話をします

 CDシリーズのリリースの狂乱から続いたシャイマス企画展も今週で終了、これからはGWのスタリファンミに突っ込んでいくぞ、それが終わったら今年も8周年記念日が来るぞ総員第一種戦闘配備が解けないぞというところで、ちょっとシャイマスを振り返ったり、ここ2年くらいで自分の中にまとまった宗教的な感覚を整理しておこうと思う。Shining Masterpiece Show、おそらく賛否もあっただろうこの企画が、また新たなうたプリの地平を切り開いたと断言できるからだ。我々は今その先鋒に立っている。

 前提として言っておくと私は森の民である。森とはすなわちヴァンパイアの住んでいる方の森であり、血まみれ彼岸花の方の森ではない。おおよそ3年前に森に棲み付いたままゾンビになったクチのブラシャの民である。ことあるごとにBLOODY SHADOWS2の予告編を勝手に作っている。カミングスーン!

 私にとっては2015年のシアターシャイニング「BLOODY SHADOWS」はうたプリのドラマCDシリーズの最高峰であり、乙女ゲームの前提を持ちながらアイドルちゃんの骨太の仕事とキャラクター同士の濃密な関係性をリスナーに味わわせることに成功した稀有な作品である。リスナーはヒロインを演じているという前提で世界に溶け込みながら、目の前でとんでもないどんでん返しを食らわされる。リスナーは同時に観客という視点で、それを驚きとあるいは爆笑とあるいは陶酔をもって鑑賞できたのだ。

 そんな森至上主義とも言える私だが、結局シャイマスの3作品を聞き終わった時にはひたすら首を垂れるしかなかった。今でも私の実家は森だけど、これは間違いなく我々と共に生きて歩む彼らの「証」だし、それを提示してくれたことに感謝しかない。劇団シャイニング、シアターシャイニングと続いてきた彼らの仕事、その積み重ねがあったからこそ今回のShining Masterpiece Showというエンターテイメントステージは存在し得たのだろう。あまたの男性アイドルが歩んでいく道、最初は当て書きの学芸会から始まって、そこから芝居やパフォーマンスを磨いていき、次第に自らの新境地を切り開いていく過程。更にトラディションを自らの解釈で新たにリコンストラクトするということ。それはそのまま、この4年間で歩んできた3つの彼らのお仕事シリーズに当てはまる。

 彼らは確実にこの4年間を生き、アイドルとして、エンタテイナーとして、これだけの力を私たちに見せつけるまでになったのだ。うたの☆プリンスさまっ♪というコンテンツはもはやそこにタブーやリミットを設定せず、彼らのできうる最大幅のエンターテイメントを、最も効果的な形で私たちに提示してくれる場所になった。舞台や映画のシリーズだけではなくて、その間に存在したライブもそうだし、シャニライの2曲のPVもそうだ。ウルトラブラストのリリースに関わる一連の動きだってそうだろう。我々が殴り合う相手はもう血の通う人間がやってるアイドルだけになってしまった。

 こんな中でそれを享受するファンも、ただ与えられる物語を読むのではなく、自分自身がシャイニング事務所のアイドルが生きている時代と次元を同様に生きているということに気付いた人が強く生き残っていくように思う。うたプリのファンであることはゲームをプレイしたり物語を読んだり歌を聞いたりすることももちろん含むけれども、本質はそうではない。本質はアイドルと同じ時空を生きて、紡がれる物語に自分もコミットしていくことだ。例えばシャニライは画面の中の彼らに会いに行く行為ではなくて、現実の世界にいるアイドルちゃんがファン向けにリリースしているアプリを楽しむ行為なのだ。ブロッコリーうたプリチームはこの7年間ずっと、ファンがそうやっていられるための裏付けを何層にも何層にもわたって丁寧に行ってきてくれているのだと思う。

 結局宗教だ。最近友達とうたプリの話を始めると必ず宗教になってしまう。信仰の会だ。言葉を尽くして何度でも、賛美と感謝を綴ってしまう。内輪で賛美と感謝を確かめ合うだけでなく、全世界の人に私がうたプリの民でいてどれだけ幸せなのかを知ってほしいし、うたプリがいかに我々を幸せにしてくれているかを知ってほしい。それはどう考えても宗教なのだ。

 最初は私にとってもただのゲームでキャラクターコンテンツだったはずのうたプリは、ある時期から人生のインフラだと思わせてくれるようになった。何がダメでもうたプリは我々を裏切らず、安定していて、安定して好きでいさせてくれるから生きていける。そこにお金を使うことは水道やガス料金のようなもの。享受した分の対価を払い、未来への投資を行うことはごく当たり前のことだ。それをさらに突き詰めたここ2年くらい、どうにもインフラは信仰を含むレベルになりつつある。日本ではなかなかその実感がポピュラーではないけれど、世界三大宗教が日常的に信仰されている国々での状態をなんとなく思い起こしてもらえればよい。

 ただ、不思議なことにこの衝動は布教をあまり含まない。どれだけ我々が幸せでいるかはあますところなく知ってほしいけれど、だからお前もこの神を信仰すべきであるとは思わないのだ。きっと今から好きになってもとても幸せで楽しい。好きになってくれたらうれしい。でもこんなに脳みそガンギマリになるほど我々が幸せなのは、年月をかけ、ひとつひとつの歴史を己の感慨を持ちながら一緒に歩いてきたからだ。その感覚はきっとうたプリを好きな人一人一人にその人なりの歴史を持ちながら存在していて、それが長くても短くても同じように作用しているものだと思う。


 そんな信仰の民はシャイマス企画展も気が狂うほど楽しかった。結局各期3回ずつ、計9回入った。今でもうたプリの企画展示の最高峰は2016年のShining Dream Festaだと思っているのだけど、今までうたプリでこんな風に遊んだことがなかった、というシャニフェスのあの衝撃、脳髄にキマってくる感じに似たものを、ロスアリの初回に行った時に感じた。映画を見るように直接具体的な物語や映像や体験が提供されるわけではないのに、その現実に自分から関わっていくことで目の前に全く違う景色が広がっていく。逆に自分から関わる能動を起こせない人にはあれはけっこう退屈なというか、そこまでのマジックを感じることが難しいものだったのではないだろうか。ディズニーランドの楽しさが、その種類も強さも深さも受け取る人依存であるのと同じだ。シャイマス展はディズニーランドだった。というかやはり、うたプリというコンテンツの楽しみ方自体がディズニーランド化しつつあるような気が最近している。


 GWのST☆RISHのファンミーティングは両日参加です。初めてうたプリの生のライブ的なもので隣に友達がいるよ…。何が起きるのか、私がどうなるのか。建国日はいつなのか。キングダムな日ってなんなのか。ひたすら楽しみにしよう。きっととても幸せな日になる。うたプリの民は365日全部捧げて、365日全部が幸せなのだ。そう幸せ。メルティー。